という言葉はなきにしもあらずかもしれない。
自分が育ったおじいちゃんおばあちゃんちに顔をだしにいった。
子供のころほぼそこで育った。
懐かしい苦い記憶を温かい記憶も蘇る。
けしていい記憶ばかりではない。
複雑な感情にもなり微笑ましくもなった。
ほんのり宿命っていう言葉を思い出す。
私の家も代々親に苦しめられてきたのかもしれない。
でもそれも宿命でそれぞれがみんな抱えて生きてきた。
自分なりに解決し、自分なりに精一杯生きてきたんだと思った。
でもそれを否定することに意味はなく、解決にもならず、
その宿命と向き合い、
自分はどう生きていくか。
自分はどう解決していくか。
それは自分次第で大人になり選択していける。
少なからず日本なら。
そうなのかもしれない。
立ち止まるときや迷うとき、でも生きてさえいければなんとか自分できりひらいていくことができる。
戦争や病気自分じゃどうしようもない解決しようがないことはあるが。
でも生きてさえいければ、あとは学んでいけば道はきりひらいていけるのかもしれない。
宿命は変えられないかもしれない。
でも未来は自分で少しずつでも変えていけるのかもしれない。
ほのぼの考えこんだ一日でした。