言い訳をすると止まらない。
言い訳だらけになる。
私はひたすら言い訳を探し、
言い訳をしていた。
幸せになれない言い訳を。
幸せになれない言い訳を探し、
幸せになれなかった。
言い訳をみつけては口にして、
言い訳をみつけては
悲劇にひたり、
私は幸せになれない言い訳をしていた。
言い訳をやめたら、
ちょっとずつ
変わっていく。
言い訳をしていると
言い訳だらけで
なかなか好転していかない。
言い訳をまずやめてみる。
それだけで何か少し変わるかもしれない。
言い訳をすると止まらない。
言い訳だらけになる。
私はひたすら言い訳を探し、
言い訳をしていた。
幸せになれない言い訳を。
幸せになれない言い訳を探し、
幸せになれなかった。
言い訳をみつけては口にして、
言い訳をみつけては
悲劇にひたり、
私は幸せになれない言い訳をしていた。
言い訳をやめたら、
ちょっとずつ
変わっていく。
言い訳をしていると
言い訳だらけで
なかなか好転していかない。
言い訳をまずやめてみる。
それだけで何か少し変わるかもしれない。
つくづく日々感謝が溢れる。
なぜなら、人の温かさに触れたから。
なぜなら食べる喜びを知ったから。
なぜなら素晴らしい景色を見る感動を知ったから。
なぜなら人を話す喜びを知ったから。
なぜなら人を喜ばす嬉しさを知ったから。
なぜならゴミを拾うことの爽快さを知ったから。
なぜなら見える景色は無限だと知ったから。
わたしたちの感謝は無限にある。
ありとあらゆることに、感謝をし今日も噛み締める。
あした今日と同じ景色だとは限らない。
今あるこの景色を味わう。
今目の前にいる人に感謝をする。
今目の前にある食事を味わう。
今目の前のことを喜ぶ。
それが幸せということだ。
みんな人様に迷惑かけながら生きています。
どんな人でも、人は人の世話になってます。
健全者だろうと障害があろうと病気があろうと。
多かれ少なかれ、世話になって生きています。
問題は人様に迷惑をかけないこと。
でも
世話にならないこと。
でもないと思うんです。
自分は生きているだけで、世話になってるのだから人に感謝を忘れないでいることだと思います。
自分は世話になってないだとか、人に迷惑をかけてないと傲慢になることがおおきな間違えで。
人に与えて生きている人間だなんて、傲慢に生きていることが大きな間違えで、
人は人に当たり前に感謝をし、
世話にならないだとか迷惑をかけてはいけないだとかではなく、
自分は1人で生きているわけではなく、
ただ生きているだけで
たくさんの人にささえられ、
たくさんのありがとうをもって、
生きていかなければいけない存在だと認識することだと思う。
憎しみあうのか。
なぜ、
貶し合うのか。
なぜ、なんのために
戦うのか。
なぜ、隣の芝があおくみえるのか。
なぜ、権力がほしい。
なぜ必要以上にお金がほしい。
なぜ勝ちたいのか。
なぜ、自慢したいのか。
世の中にはたくさんなぜが溢れている。
でも人間は難しい生き物なのかもしれない。
他の生き物より知恵が発達したがゆえに、
色んなものを求めすぎてしまうのか。
だとしたら、悲しいことだ。
常にありがたいという思いを忘れないのはすごく難しいこと。
近い人ほど、
甘えがでて、
ぐちがでる。
でも近くにいるひとほど、ありがたいものはない。
そして自分の命が今日もあるのも、
実はありがたいこと。
そして憎たらしくなるときがある旦那さんが今日も元気でいてくれることも実はありがたい。
そしてうるさくてうるさくてちょっと黙っててほしいと思うときがある子供たち。
うるさいくらい元気で本当にありがたいこと。
そして、今日も家が壊れてない。
実はすごくありがたい。
普段当たり前すぎることでさえ、
本当はありがたいがたくさんあった。
本当はありがたいことだらけなんだ。
偶然の重なりで誕生した生命。
そして、
生物は1つ1つ重要な役割を果たしている。
人間は神から選ばれた特別な存在ではないはず。
なのに我々人間は過信した。
我々なら何を壊してもいいのか。
違う。
かつて、生きてくだけで精一杯だった時代からはかけはなれ、欲にまみれた人間が増え、失っていくものはあまりにも多すぎる。
私は違うとも言い難い。
なぜなら、
便利な生活を手放すことはけしてできていない。
我々の行く末は。
未来は誰にもわからない。
母親のようにはならない。
子供を産んだ時、強くそう決めた。
この子にはまともな人生を。
だけど、気づいたら同じようになっていて、
また本を読み漁り、
学びなおし、
きづいたら笑えなくなっていた。
母親のようにならないようにならないようにと思えば思うほどに肩に力が入り、不自然な母親が出来上がっていた。
それは、無理をし続け、自分の感情をおしころし、自分という人間を否定し続けていた。
気づいたら、娘を苦しめていた。
今も、まだいい母親なんかにはなれていない。
でも今は笑えるようになった。
自分のことも大切にできるようになった。
娘と心から会話ができるようになった。
不自然な会話ではなく、自然な会話。
私の笑顔が増えると、娘の笑顔は増えていった。
それは自分を認めたから。
自分という人間を受け止めてきたから。
諦めたんじゃない。
受け止めた。
認めた。
私も愛されたかった。
愛されていると実感して生きていたかった。
ただそれだけだった。
だから母親のようにならないじゃなくて、
娘に愛を伝わるように接すること。
無条件に愛すこと。
ただそれだけでいいって。
あとは完璧じゃなくていいって。
あとは自然でいい。
そして目の前のことを精一杯楽しむこと。
目の前にいる娘は今日しか会えないこと。
娘は日々成長している。
だから1日1日を大切に。