人生を豊かに

幼少期統合失調症と境界性人格障害をもち そしてママになり悪い連鎖をたちきり、病気と向き合い、より豊かな人生をと励んでおります。

会社の集合写真

会社の集合写真。

 

どんなポーズでも顔でもいいと言われた。

 

 

思いっきり変顔をした。

 

 

一人だけ。

 

 

まだ入って2年くらい。

 

 

なんかその時の爽快感は忘れられない。

 

 

あとあと気まずくて後悔したが、、、(笑)

 

あの時のなんとも言えない爽快感が今でも忘れられない。(笑)

 

 

なんか自分の普通とか、

みんなと一緒とか、

変に思われるとか。

なんか一瞬の思いつきの思いっきりの行動が

なんか、ぶっ飛んだ。(笑)

 

 

 

なんか自分を思いっきり変えれた気がした。

 

 

これができたらなんでもできる気がした。

 

 

 

 

いや、

これこそ自分の変な常識の壁とか

みんなと一緒じゃなきゃとか

壊された気がした。

 

 

いや、あの爽快感を忘れない。(笑)

人と比べる事

すごく無意味だと皆が心のどこかで分かっていながら、

気づいたら比べては

落ち込み、

比べては羨み、

比べては、

自分は劣っている気がして。

 

 

若ければ若いほど、

比べることが多すぎて、

比べる機会がありすぎて、

 

学校とか会社とか、

 

 

人と会えば会うほど

また広がり、

 

疲れては

励ましまた歩きだす。

 

 

でも答えは一つ。

誰かと比べる意味はない。

 

同じ人間など誰一人として

存在しない。

 

 

 

そして自分らしく生きることは

けして悪いことじゃない。

 

むしろ良いことだ。

 

むしろ勇気がいることだ。

 

なおさらこの日本では。

 

 

 

みんなと一緒が当たり前の社会で、

自分を貫き通すのは

勇気がいることだ。

 

 

だけど人に迷惑をかけなければ、

人と合わせる必要はない。

 

 

人と合わせなければいけないわけはない。

 

 

みんなが違うのに、

みんな同じじゃなきゃいけないなんて

そんなわけない。

 

 

 

産まれたときから私達は皆違う。

 

意見が違って当たり前。

 

考えるが違って当たり前。

 

 

同じことを同じようにできなくて当たり前。

 

 

わたしはわたし。

 

あなたはあなた。

 

それでいい。

大人になるということ

大きい人と書いて大人だと私は個人的に思う。

 

世間では成人したら大人とか言われているけど、

自分も含め大人になりきれていない大人はたくさんいる。

 

大きい心を持つ本物の大人は世間にどれほどいるだろうか。

 

 

勝手に大人と呼ばれ大人になったから威張る人。

 

大人だから偉いと思い込んでいる人。

 

大人なら何をしてもいいと思っている人。

 

年を重ねたから学ばない人。

 

あげたらキリがない。

 

私達大人は本当に子供より偉いのだろうか?

 

 

私は子供のほうがよっぽど偉いんじゃないかと思うふしぶしがたくさんある。

 

 

私は子供の頃、

どうして大人の理不尽な言いつけも、

理不尽な発言も

子供だからと言って聞かなければならないのだろうとすごく疑問だった。

 

親にしても学校の先生にしても、

あまりにも理不尽なことが

多すぎた。

 

 

そんな子供時代を私はよく思い出す。

 

 

大人ってそんなに偉いのか?

 

本当にそうなのか?

 

ちょっと世間では大人になったから考えてみた。

 

大人ってだけで偉くはないな。

 

 

今日も時間を何に使う

ありがたき貴重な時間。

 

今日は何に誰に使う。

 

私達は死を目の前にした時、

時間が有限ではないことを

しみじみ実感するだろう。

 

そして自分にとって

本当は何が大切だったかしみじみ気づくだろう。

 

 

だから今日は何に誰に時間を使う?

 

改めて自分に問いかける。

 

 

私の時間は限られている。

 

 

さて今日はなにに誰になんのための時間を使う?

 

今日も問いかける。

 

時間を有り余している人は

本当はいないはず。

 

 

時間だけは進んでいく。

 

勝手に。

 

 

さぁ今日はなにに誰になんのための時間を使う?

 

 

 

 

今日も私の私だけの時間を大切に使わせて頂こう。

どうてもいいことをいかに丁寧にやるか。

人はどうでもいいことは

手を抜きがちになる。

 

だからどうてもいいことを

丁寧にやってみる。

 

ながら食べをよくしているなら

丁寧に頂きますをいい、食事を丁寧にご馳走さまをいう。

 

いつも急いでいて車の運転が雑になるなら

車に今日一日無事故でお願いしますといい、丁寧に運転をし、終わりにはありがとうございますと車に感謝をする。

 

 

その辺に配達にくる人、いつもなら忙しくてスルーをしてしまう人にも丁寧な挨拶をし、ねぎらいの言葉をかける。

 

 

やる気なく、朝のトイレをし、せかせかとトイレをしているなら丁寧にトイレ掃除をし、いつもありがとうございますと丁寧にようをたさせていただく。

 

 

子供を見てまた大変な育児がはじまると思っていたら

生まれてきてくれたあの日の写真を眺め、

子がいるのは当たり前じゃないことを再確認し、

存分に抱きしめ産まれてきてくれてありがとうと伝える。

 

 

あげればきりがない。

 

でも一つでも丁寧にできると

なんだか気持ちが清々しい。

不思議と当たり前なことにすごく感謝湧き上がってくる。

 

 

私達は日々どれだけ雑に生きているかに気づく。

 

もっと丁寧にもっと大切に日々を過ごしたいものだ。

 

 

 

悲しみは何にも変えられる。

 

憎しみにも変えられる。

気合にも変えられる。

恨みにも変えられる。

優しさにも変えられる。

原動力にも変えられる。

 

悲しみを何に変えるかは全て自分次第。

 

 

悲しみは避けて通れないことがほとんど。

 

 

だけどその悲しみを何に変えるかだけは

自分で決められる。

 

 

悲しみは時が経つにつれ薄れていくかもしれない。

 

 

悲しみが未だなおあるならば、

いっそ変えてしまおう。

 

 

どうせなら憎しみではなく優しさに。

 

どうせなら恨みじゃなくて、原動力に。

 

悲しみが深ければ深いほど

その力は大きいものに

なっていくだろう。

落ち着く図書館

やはり1人時間は図書館に行くのが好き。

 

静かでたくさんの好奇心が掻き立てられる本でたくさん。

 

 

知らないから不安になることは案外多いもの。

 

 

だから図書館に行って知らないことを

たくさん教えてもらいに行く。

 

 

答えはないかもしれないけどたくさんの人生のヒントが溢れている。

 

 

いつも同じ人同じ環境に大人になると見を起きがち。

 

 

でも本はたくさんの人の考え方、アイデアがたくさん溢れていて、視野が広がる。

 

 

 

凝り固まった自分をほぐしてくれる。

 

 

答えはたくさんあって、

考え方はたくさんあって、

こうでなければいけないわけじゃないことがほとんどだ。

 

 

色んな生き方、様々な視点から見る。

 

もっともっと柔軟な自分でありたい。