人生を豊かに

幼少期統合失調症と境界性人格障害をもち そしてママになり悪い連鎖をたちきり、病気と向き合い、より豊かな人生をと励んでおります。

強いメンタリティ

 

昨日の夕方から心が病んでいました。

 

今日やっと乗り切れそうです。

 

コツは自分を客観視すること。

 

 

上手くいかないときは紙に書き出します。

 

 

案外自分が悩んでいることは

ほとんどがくだらないです。

 

クヨクヨしている時間はもったいなく、

他人に振り回されている自分がいるのに気が付きます。

 

自分の人生は他人のものではなく私の人生です。

あなただけの人生です。

 

 

自分の心と対話します。

じっくり。

向き合います。

 

 

ほとんどの悩みは、

くだらない。

人に振り回されていることが多い。

 

 

私の人生にそんな時間はない。

 

今やるべきことは、

今ある幸せに目を向け、

感じること。

 

 

何もかも当たり前じゃない。

 

 

感謝感謝。

 

 

強いメンタリティは、

日頃の感謝から生まれるのかもしれない。

 

 

 

 

 

嘆くより学び続ける

嘆くより学び続ける。

 

反省するよりまた学び直し。

 

落ち込んだらまた学ぶ。

 

自信に満ち溢れたときも学び続ける。

 

人間関係で落ち込んだときまた学ぶ。

 

子育てで悩んだらまた学ぶ。

 

学ぶのをやめてしまうと、

立ち止まってしまう。

 

 

過信してしまう。

 

常に学ぶ姿勢を保つ。

常に学び続ける。

今は辛くとも学びはやめない。

答えはなくともきっとどこかに

ヒントはある。

 

 

生きているなかで学びを諦めたりやめなければ

どこかにヒントがある。

 

自分なりの答えが見つかるかもしれない。

 

 

疑問

娘の幼児教育について度々疑問を抱きます。

 

私は早期教育はあまり意味はないかなぁと思う派なのですが、

周りにつられて焦ることがたまにあります。

あまりにも早くから勉強を意識した親御さんが多いからです。

勉強ができなきゃいじめられる。

ついていけなくなってからじゃ遅い、、

等と皆さん理由は様々。

 

 

もちろん私も勉強をさせないとかまったく意識してないわけじゃありません。

 

娘が文字を書きたがれば書き方を教えます。

読みたいときも教えます。

 

それよりも大切にしていることは、疑問に思った時とことん一緒に考えて一緒に探ること。

 

何よりも娘に学びは楽しいと思ってもらえるように意識しています。

 

 

学ぶことの楽しさ、そして学ぶことの大切さを自然に知ってほしいなぁと個人的には思います。

 

何かに挫折したとき、

何かにつまづいた時、

学びをやめなければ

前進できます。

 

そうやって自分の人生を

楽しんでいってほしいです。

 

私も一生学び続けたいです。

 

 

言葉の呪い

発している言葉で

考え方が変わる。

発している言葉で

価値観が変わる。

発した言葉で自分が変わる。

 

言葉を変えていく。

意識していく。

 

そうするとだんだん変わっていく。

いい言葉に自らを囲んでいく。

するといい人間関係が生まれる。

いい親子関係ができる。

 

言葉は大切。

人をけなすことも

励ますことも

勇気づけることも

傷つけることもできる。

言葉は良くも悪くも最高の武器になる。

 

 

どうせなら今日も気持ちのいい言葉に囲まれよう。

どうせなら今日も人に気持ちのいい言葉をかけよう。

 

どうせなら今日も子供に気持ちのいい声掛けをしよう。

 

 

そうできないときもある。

でもなるべく周り、自分が気持ちのいい言葉を増やしていこう。

 

人生はいつか好転してくるだろう。

自分の時間は誰にも邪魔をされてはならない

今山の中に旅行にきております。

 

今主人に一人の時間をちょっとばかし頂き、

一人で旅行施設にある足湯を堪しております。

 

 

足湯につかりながら目をつむりました。

魂と会話です。

 

そんな中周りは足湯の存在にあまり気づいていなかったのか足湯には私だけでした。

 

 

逆にラッキーと思い一人で浸っておりました。

 

 

すると若い三人組が何やら私を見て、

「足湯なの?!あれ?!あの人足をまくってはいってるよ。爆笑なんか一人でやばい。怖い。」

 

私の話以外にないだろう。しかも足湯と看板が横にあるではないか。

私は悪いことをしているわけがない。

 

 

しかし昔だったら慌ててでて恥ずかしくてその場をさっていました。

 

 

でも今は違います。

貴重な一人でぼーっとする時間です。

 

私の自分だけの時間は誰かに邪魔をされるわけにいかない。

 

 

そのまま目をつぶり、自然に浸り、足湯を堪能でしました。

 

 

世の中では知らない人にいきなり笑われたりいきなり失言をされたり生きていると不思議なことがあります。

周りにあわせないで自分らしくいればいるほど変な目で見られるのが日本社会。

 

 

不思議に思います。

悪いことをしてれば別ですが、

みんな同じようにしなきゃいけない理由は存在しますか?

 

 

周りなんて気にしなくていいんです。

 

自分らしくいれたらハッピーになれます。

 

くだらないことに惑わされてはいけません。

 

楽しくいきましょう☻

私達は

自分で決められない運命がある。

突然の病気。

突然の死。

母親父親に捨てられる。

生まれた時から何かしらの障害がある。

 

これらはすべて自分でどうすることもできないものだ。

 

人生には自分たちでは左右できない出来事は必ずある。

 

 

 

自分たちの与えられた運命で

残された生をどう過ごすか。

 

 

与えられた命をどう使うか。

 

与えられた環境、体、心で何をするか。

 

それだけは自分たちで決められる。

 

ないものを望むより今あるものでどう生きていくか。

 

 

人生は深い。

 

 

 

一人深く考える今日この頃でした。

 

 

 

 

善という悪

その人のためと思い、やりすぎると善という悪になることがある。

 

 

私は子供時代から世話好きで教えたり、世話を焼くのが好きだった。

 

だから妹になんでもやってあげたくなる性格で、

なんでもやってあげようと心見ていた。

相談をうければ1から10を教えようとし、

余計なことまで足を踏み込んでいた。

 

 

 

でも子供が産まれて私はやっと気づいた。

いいお姉さんだと思っているのは自分だけで今まで何をやっていたのかと。

 

妹におせっかいもいいところだったと今は思う。

 

やりすきるのは返って悪になることがある。

それに見下しているようにも見える。

妹ととはいえ、尊重しなければならない。

 

人間関係でもそうだ。

相談されたからといって、

足を踏み込みすぎておせっかいをやきすぎては悪になる。

 

人それぞれの心境や事情がある。

 

 

客観的にみた指示や客観的にみた意見など相手は望んではない。

 

聞いて共感する。

相談する人が望んでいることは恐らくこれだけだ。

 

それ以上をやろうとしてはただのおせっかいにすぎない。

 

だから最近は気をつけている。

1から10までは知らないのだから相手に助言はほぼいらない。

答えを求められたときだけ言えばいい。

 

そんな当たり前のことを

善だと思い口にしていたのが今では恥ずかしい。

 

善もいきすぎると悪になる。